1人は2人





 夕子から手渡されたのは小さな小箱だった。手のひらに収まるようなコンパクトな立方体の箱で、黄色い包装紙でラッピングされ、 その上から緑のリボンで綺麗に装飾されている。実際手のひらに乗せてみると、僅かな重さをそこに感じ取ることができた。軽くゆす ってやると、中で小石が転がるような音と、かさかさという枯れ草がこすれあうような音がする。
「なにこれ?」
 翔太はいぶかしげな顔をして、目の前にいる少女、夕子に尋ねた。
 翔太と夕子は幼稚園時代からのつきあいで、小学6年となった今まで幼なじみという間柄で通してきた。小さな頃から寝るときも遊ぶ ときも常に一緒だったためか、そのことを周りに冷やかされるようになってからは、2人の間はすっかり疎遠になってしまっていた。
 風も温かくなってきた3月の始め。ふと、そして不意に翔太は夕子に呼び出され、校舎の屋上に出向いていた。そこで渡されたのがこ の小さな小箱。
「ええから開けてみてや」
 山の向こうから吹き付けてくる強い風。じっと立っているのも辛いような強風に、体の前に垂らしたおさげを揺らしながら、夕子がやや 口ごもりながら言った。
 夕子は小学6年になっても翔太よりも10センチは背が低い。大きな瞳に加えてもった童顔で、周りからのうけはよかったが、本人は それをよしとは思っていなかった。あまり人と積極的に接しようとしない彼女にとって、人にちやほやされるのは苦手だったのだ。その 点、翔太と話す時は長い付き合いもあってか、気が楽だった。翔太自身も夕子が小さな体のことにコンプレックスを持っていることも知 っているし、人と接するのが苦手なことも知っていた。だから敢えて深く接しようとはせず、ある程度間をあけて今まで接してきた。
 仲が悪いようで仲がいい。互いを分かり合っている絶対的な距離感。それがなんとなく気持ちよくて、夕子はよく翔太になついた。翔 太といるのが楽しかったのだ。
 それが小学生の高学年になってからだろうか、翔太が周りの目を気にするようになってから、めっきり話す機会が少なくなった。それが 夕子的には辛いことだった。夕子も翔太の事情を把握しているだけに、自分からも話しかけることもできず、そのまま月日は流れていった わけである。
 久しぶりに面を向かって話すと、それが望んでいたこととはいえ、どこか気恥ずかしいものがあった。色黒でざんばら髪で、顔に絆創膏 がない日はないやんちゃ坊や。ちょっと見ないうちに、その顔はどこか大人びたようにも見え、それがまた夕子の気持ちをくすぐっ た。
 夕子の言った通りに小箱のリボンをとり、乱暴に包装紙を破り、そして箱を開ける翔太。不可解な顔をしていた彼の表情は、さらに難解 なものになる。
 眉間にしわを寄せ、彼が箱からつまみだしたのは、やや茶色がかった石のようなものだった、やや西の方に傾いた日の光を受けて、 鈍く光るその物体は、お世辞にも綺麗なものとは言えない不恰好な姿を翔太と夕子の前にさらしている。しかし、そこからかもし出す、 甘い匂いは翔太の鼻腔を心地よくくすぐった。
「チョコレート?」
「そ」
 まとも返事をするのがたまらなく恥ずかしく、夕子はそっぽを向きながら答えた。それを聞いて、ますます翔太の眉間にしわが 寄った。
「なんで? 作ったんか?」
「うん。徹夜で作った。ほら、バレンタイン、あげれなかったやろ?」
「バレンタイン? おまえ、今3月やぞ? 季節外れもええとこやろ」
 驚きというより、むしろ呆れたように翔太が言った。そういえばと思い返すと、約1ヶ月前に催されたバレンタインという日に、夕子 からチョコをもらった記憶はない。それまで毎年のように「義理チョコ」と言って渡してきたのに。と、それが当然過ぎて、もらわなか ったことが自然のように今まで気づくことがなかった。
 そんな自分がなんだか滑稽に思えて、翔太はすこし笑みをこぼした。
「おまえなぁ、もうええやろ。来年まで待てなかったか?」
「うん。渡さないと気がすまなかった」
「義理チョコでもかぁ?」
「今年は違うよ?」
「違うって、おまえ、もしかして俺のこと好きになったんちゃうやろな?」
 さらりと核心をつかれた。それがあまりにも突然で突発過ぎて、夕子の頭が一時パニック状態になった。そして用意していた約束の言 葉もど忘れしてしまって、何もかも真っ白になった彼女ができることといったら、ただうつむいて、顔を真っ赤にすることしかなか った。
 面白いほど的を獲た反応。それを見て翔太が声を上げた。
「図星かいなっ。なんやねんな、いきなりぃ」
「だって仕方ないやん。人間感情には素直にならなあかんて、翔ちゃんのおじさん、言うてたやろ?」
「あかんあかん。そんなんクラスの奴にばれたら俺、生きていけへんわ。おまえも今まで以上にやーやー言われるで」
「そんなんわかってる。せやけど仕方ないやん。翔ちゃん好きやねんから」
 自分でも情けないほど口を尖らせているのがわかる。半ばやけになっての告白。こんなはずじゃなかった。贈り物のチョコに場所は屋 上。これ以上にないシチュエーションのはずだったのになんだろう、このざまは。せっかく久しぶりに話せたというのに、なんだかこんな 自分が情けなくて泣きたくもなってきた。
 翔太は泣きそうになっている夕子の顔を困った顔で見ると、ぷいっとそっぽをむいてフェンスで隔てられた校庭の方に目をやってしまった。そんな彼の仕草を見て、ますます悲しくなってくる夕子。なんだかこのまま一生翔太と話す機会がなくなるようで、こうして目の前にいるというのに、そう思っただけとんでもなく遠い存在に見えてくる。今にも翔太の名を呼びそうになる自分の口をなんとか抑えて、夕子は少し肩を落とした。  と、翔太が手に持っていたチョコを空に放り、落ちてきたところを器用に口の中に入れた。こりこりと、固形のチョコをかむ音が、風に 流れて夕子の耳に届く。
「ん、うまい。おまえ、チョコ作りの才能あるわ」
 無愛想な顔のまま、翔太は夕子をほめた。そして照れくさそうに鼻をすすると、そのまま昇降口まで歩いていく。
「翔ちゃん、待って」
 その後をあわてて追いかける夕子はふと気がついた。
 さっさと先を行ってしまう翔太。それを慌てて追いかける夕子。そのスタイルはずっと続いてきた。それがなんだか懐かしくて、そし て暖かくて、心地いい。しばらく忘れていたことだが、そこに確かな2人の関係がある。
 翔太の小さな、しかし大きくなった背中は何も言わない。それでもそこに自分の場所があるようで、夕子は必死になって翔太の後に続い た。
 あたふたしたように自分の後についてくる夕子にちらりと目をやった翔太は、ふと歩くスピードを落とした。そして夕子が自分のすぐ 後ろに来たのを確認すると、にっと笑っていった。
「久しぶりだな? 一緒に帰るの」
 その笑顔がなんだか本当に久しぶりのように思えて、それがとても嬉しくて、自分が求めていたものが見えたことに、夕子は満面の笑 みを浮かべてうなずいた。



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