第一章 幻影対策係PAS

「いや、まったく、今回の件については、私も誉めていいのか怒っていいのかわからんよ」
 治安管理局三階。刑事課長セイファード=クリンスキーが、口元にわずかに蓄えた髭をさすりながら苦笑いを浮かべた。
 目の前に積まれた書類は全部で何枚になるだろうか。これに一つ一つ目を通していくとなると、 それこそ徹夜を二、三回は覚悟しないといけないだろう。
 その事実にだろうか、セイファードはため息をついて、自分のデスクの前で直立する青年を見やった。
 濃紺のスーツの前が解放され、中からはよれよれの縞模様のシャツ。それがいわゆる寝巻きであることは、 誰が見てもわかるのだが、彼はそれをあくまでも制服だと主張し続けている。
 またセイファードがため息を一つ。だがこれはその青年の身なりに対してのものではない。
「よくもまぁ、死なずに済んだものだね。ロイ君?」
「運がよかったのと、俺の実力です」
 そうハキハキと答えるロイの格好は、もはやすさまじいの一言に尽きるものがあった。
 ところどころ破けた制服。煤と灰、埃で全身を汚し、その上でインナーがパジャマという異様な格好。最初、 彼がオフィスに入ってきた時は、また新手の嫌がらせかとセイファードは思った。しかしその手に持つ報告書と、 常時デスクの上にたまっていく報告書の束に、彼は瞬時に判断していた。
 格好がボロボロなのは、爆発に巻き込まれてのものだろう。あのおかしな格好は、今に始まったことではないので、 もうつっこまない。
「ブラス君は?」
「後に駆けつけた救助隊に救出されて、現在入院中です。どうやら全治一週間ほどで済んだとのことらしいですが」
「そうか、よかった」
 部下の無事も確認し、セイファードは背もたれに体を預けた。
 ロイとブラスを巻き込んだ工場爆破事件。結果的には犯人以外、誰一人死者を出すことなく、 現在では刑事課の局員がその事件処理に当たっている。犯人が何を意図していたのか、 そしてその背後に何らかの組織との繋がりがあるのか。犯人が消し飛んだ今となっては解明するのは難しいが、 それを解決するためにこの治安管理局はある。
 ロイはその後、局に戻り、そして簡単な記述だけした報告書を手に、上司の前に現れたところである。
 工場が爆破されたという大きな事件性の割には、すでに使われていない工場だったことや、死者が犯人のみということで、 局内は落ち着いているように見えた。あとは事後処理に走り回るだけで、刑事課の役目は終わる。
 そう、刑事課の役目は。
 ややだるそうな目をセイファードに向け、ロイは一つ、最も気にかかっていたことを尋ねた。
「あの、やっぱり俺、移動ですか?」
 首元を指先でちょん、とやるジェスチャーを取りながら問いかけるロイに、セイファードはすまなそうに「残念ながら」 とだけ答えた。

 治安管理局には、大きく分けて五つの部署がある。
 その中で最も異色扱いされているのが、治安管理局六階にオフィスを構える、 「特別危機対策課」通称SEMSと呼ばれる部署である。
 市内での、天災や大規模なテロといった、特殊な事件に対応するために設立されたところで、それ故、 局内のエリート達がここに配属されることになる。
 特別危機対策課SEMS自身は、大きく四つに分けられる。
 天災に対応する、天災対策係。
 通常テロに対応する、テロ対策一係とテロ対策二係。
 そして――、
「いらっしゃい、ロイ。また一つ勲章できたねぇ」
 オフィスに入り、開口一番、声をかけて来たのは、まだ年端もいかない小さな女の子だった。 実際その子の年齢は十二歳と幼い。くりっとした大きな瞳に小さな鼻と口。 ライトパープルの鮮やかな髪はツインテールという髪型に固定されている。
 あどけない表情に、しかしそれに負けないくらいの邪念の篭った笑みで、少女はロイの胸を小突いた。
 それは恨みか、冷やかしか。
「おかげさまで。こっちは二度とおまえらの顔なんて拝みたくはなかったけどな」
「何を。局内でも小さなアイドルとして、人気爆発のメルちゃんを前に言うか」
 自分を「ちゃん」つけする少女、メル=ラングワートは、これ以上ないというほど胸をはって、ふんぞり返った。
「はいはい。ない胸はっても迫力ねぇぞ」
 自分の胸の下辺りまでしかないメルの頭をぽんと叩き、その横を通り抜けようとした時に、 メルがロイのふくらはぎ辺りに蹴りを入れた。それが思った以上に効いて、それを顔に出すのがしゃくだったので、 ロイは平静を装った。
ふくらはぎから伝わる、じんじんとした痛みをよそに、オフィスの奥に位置する執務デスクの前まで移動する。
「ロイ=ストライフ、本日からまた幻影対策係PASに配属となりました。よろしくお願いします」
 それがどれだけ気持ちの篭っていない挨拶だったのだろう。ロイの挨拶の相手、執務デスクで新聞を片手に、 イヤホンに耳を傾けていた男、マーシュ=ウヌラートはやや不満げに頷いた。
「『配属となりました』じゃないだろう。おまえは元々ここの人間なんだ」
「刑事課の方が居心地はいいですし、性に合っていると思ったからそう言ったまでです」
「弱ったな。君に抜けられると代えがいない。しばらくPASでがんばってもらわないと、こっちが困る」
「だから来たんですよ。断っても強制連行しますでしょう?」
 皮肉気にそう言ってやるが、ウヌラートは気にした様子もなく「そうだな」とだけ答えた。
 幻影対策係PAS。これが特別危機対策課SEMSに入る、四つ目の係であり、最も異様、異端といわれる部署である。
幻影とは、十数年前に発見された新鉱物、コルトニウムによって引き起こされるホログラム現象のことである。コルトニウムは、 鋼鉄をも上回る硬さと丈夫さを持ち合わせた金属で、その強靭な耐久力から、新世代を担う新たな鉱物として大変注目された。 しかし、その硬さ反面、熱には弱く、非常に低い熱で気化してしまうという、金属にとっては致命的と言える欠点が見つかってしまった。 そのため、コルトニウムは発見から僅か二年で姿を消した。
 需要がなくなり大量に放棄されたコルトニウムは、街の処分工場で焼かれ、気体に姿を変え、ここザフトス市全体を覆った。 そして当時発明、実用化されだした蒸気機関が吐き出す大量の蒸気と結びつき、全く違う気体、「Cスチーム」となった。
幻影とはこのCスチームを媒介とし、そこに自分の思い描いた物をホログラムとして映像化させた物のことを総称した呼び名である。 術者はその映像を思い通り、自由に操ることができ、対象の視覚を惑わすことができるのだ。 Cスチームは、幻影を映し出すスクリーンの役割と考えてくれたらいいだろう。 
 ロイの所属している幻影対策係PASは、この幻影を犯罪に利用する輩と、違法鉱物となった、 コルトニウムを取り締まるために設立された部署なのである。
 幻影対策係PASだけとは言わず、ここ、特別危機対策課SEMSに所属している局員には、 その事件の特殊性から、仕事が全くないと言っていい。そのため、普段は応援という形でそれぞれの能力に見合った所に配属され、 そこで働いているということなのである。ロイの場合、それが刑事課であり、今回は幻影犯罪の発生につき、急遽召集されたのだった。
 先ほどの小さな女の子、メルも立派な幻影対策係PASの一員であり、普段は生活安全課で日々市民の苦情を聞いて、 ストレスを溜める毎日を送っているのだという。
なぜあのような低年齢で、こんなエリート集団の仲間入りができているのか、詳しい経緯はわからない。 しかしそれに見合う仕事はしっかりこなすし、気負いもしていない。別に文句もないし、言おうとも思わない。 ただ一つあるとすれば、ませた考えと、邪念に満ちた言動だ。
そしてロイの前で、新聞のドックレースのパドックを、真剣な目で見ているのがマーシュ=ウヌラート。 この幻影対策係PASの係長で、鼻の下に蓄えた髭と、やややる気の無さの目立つ瞳が特徴である。 正確な年齢はわからないが、三十代後半にはなるだろう。
 無類のギャンブル好きは、今日もこうして新聞と有線ラジオという装備で確認できる。
 仕事中にも拘らず、ギャンブルに燃える上司。
 ロイはため息をついて、後ろを振り返った。
 特別危機対策課SEMSのオフィスは、廊下からの入り口をくぐって一番左から、天災対策係、テロ対策一係、テロ対策二係、 そして最も右寄りに幻影対策係PASという位置づけにされている。
 PASのオフィスは、四つの係の中でも最も狭い。その理由が隊員の少なさにある。
六人分のデスクが三つ三つで向かい合うように配置され、その奥には、それらのデスクより一回り大きなウヌラートの執務デスク。 計六人のPASだが、今この場にいるのは三人だった。
珍しい。
自分で言うのもなんだが、遅刻常習犯の自分が三番手とは、珍しいこともあったものだ。
「メル、他の奴らは?」
「召集かけてあるから、そのうち来るでしょう?」
 ロイのデスクの右斜め前に配置されたメルのデスク。そこにちょこんと座って雑誌をめくるメルは、 ロイの知りたいと思うことを一つも教えてくれなかった。いや、ただ単に知らないだけなのだろうか。 奥に続くSEMSオフィス全体を見回すと、こんなにも活気に見放された係はここしかなかった。
 隊員の少なさもあるだろうが、原因はきっとそれだけじゃないだろう、とロイは確信する。 一方はギャンブルに勤しむ上司、もう一方はティーカップ片手に、ファッション雑誌を眺める少女。
 一般人が見れば、誰もここが局内で最も危険な犯罪に立ち向かう組織であるとは思わないだろう。それどころか、 「税金の無駄遣いだ」と非難を浴びかねない。
 かくいうロイも、そのボロボロの格好と珍妙な衣装でその対象になるのだろうが。
「遅れてすみません。まだ大丈夫でしたか?」
 不意に、その怠惰しきった空気に似合わない、すっきりとしたスマートな声が響いた。
 顔を上げると、そこには一人の青年。
薄いブラウンの髪に、切れ長の瞳。スマートな鼻と細い顎のラインは、一見して女性と見間違えてしまうものがある。 非常に整った顔立ちの、もう好青年といっていいほどの美男。
 ディル=マクドガルは、ロイの視線に笑顔で返し、ウヌラートのデスクの前まで行き、再度挨拶をし、こちらに戻ってきた。
 そして自分のデスクである、メルの横に腰掛け、ニコニコしながらロイとメルに話しかける。
「久しぶりだね。元気にしてた?」
「おまえ、よくもまぁ、そんなこと言えるな。今回のあらまし、聞いてねぇのか?」
 自分のなりを見ろと言わんばかりに両腕を広げて見せる。
 あの爆破事件から、着替えすらも許してもらえないことに、少しご機嫌斜めなのか。ロイの表情を見て、 ディルは苦笑でそれを受け止めた。
「ごめんごめん。そういう意味じゃなくってさ。僕たちがこうして召集されるの、久しぶりじゃないか」
「久しぶりっていっても、二ヶ月やそこらだろう? 別に出張してたわけじゃあるまいし」
「でも僕は、ロイやメルと違って、総務課だからね。あまり外に出ることがないんだ」
 主に局内の経理、人事を担当する総務課は、デスクワークが仕事の大半を占めている。局内を回ることもあるが、 ほとんどオフィスから出ないといってもよかった。
 外に出ることがなかったら、ロイやメルと違って、廊下でばったり会うことも少ない、ということなのだろう。
 なんたってこいつは、こんなにも好印象なんだろう。
 時々ムカムカする気持ちと共に、そう思うことがある。矛盾する二つの感覚に、ロイはこのディルという男の扱いをどうするものか、 と考えることがあった。
 が、その気持ちの整理を、ストレートに片付けてくれるのは自分ではないので、ロイは毎回黙っている。
「メルも久しぶりだねぇ。仕事うまくいってた?」
 ディルが自分の横に座っているメルに話しかける。
 十二歳のメルに対して、ディルは二十四歳。こうやって見てみると、兄弟どころか、軽い親子にも見える。
 ディルも子供好きなのだろう。メルと話す時の顔は、満面の笑みで、特別嬉しそうだ。
 ルックスも良ければ性格もいい。それに高学歴に運動神経抜群とくれば、局内にファンができないはずもないだろう。 だがそんな男の笑顔を、たった一撃で叩き潰すのがメルだった。
「五月蝿い。優男はだまってな」
 ゴン、という音が聞こえてきそうだった。もちろんそれは、ディルの中でのみ響いたものなのだろうが、 それでもメルの一言で多大なダメージを受けたものに他ならない。まるで先ほどのメルの台詞が、 巨大な石となってディルの脳天に落下したような感じだろうか。
 ともすれば「がーん」というサウンドエフェクトも似合いそうなリアクション。
 やや細めの瞳は見開かれ、口があんぐりと開き、彼のショックの受けようが露骨に表現される。 そしてその顔でしばらく固定された後、ディルはがっくりと頭を垂れ、席を立った。
 その肩をしっかりと掴み、ロイが強引に席に座らす。このまま放っておけば、どこへ消えてしまうか、 わかったものではないからだ。
 一見完璧に見えるこの男に、一つ欠点を挙げるとすれば、それは些細な言動でも過剰に受け取り、 病的な被害妄想に埋もれる気の弱さだろう。
 ただメルの一言がきついということも見逃せないが。
 二十四の青年が十二の少女に、一撃で粉砕される様は、異様を通り越して、もはや微笑ましい。
 ふとロイは壁掛け時計に目をやった。
 十四時三十五分。召集時間はすでに過ぎている。にもかかわらず、ここに集まったメンバーはまだ二人足りない。
「おい、バードックはどうしたんだ?」
「ん〜? またどっかでお肉食べてるんでしょう? そのうち来るわよ」
 今週の人気レストラン、というコーナーのページをめくりながら、やはりメルの返答はロイの期待に答えてくれない。
「ディルは知ってるか?」
「いや、知らない。最近の殺人事件で警備課も忙しそうだったからね。離してもらえないのかも」
 警備課に務めるメンバーの一人の所存を聞き、ロイは「そうか」とだけうなずいた。
 それならばもう一人。そして本来ここに真っ先に到着していなければならない人物。その名の第一文字目を口にしようとした時、 SEMSオフィス内がどよめいた。それも全て男のもの。
 それだけで十分だった。どよめきの原因が何であるのか。
 苛立ちを隠せない表情で振り返ると、オフィスの入り口から、ちょうど一人の女性が入ってきて、 こちらに向かってきているところだった。
 スラッとしたモデルのような体型で、顔貌はよく整った美形の女性だ。三つ編みのプラチナブロンドの髪は、 窓から差し込む日光を受けて輝いている。そこにいるだけで、空気が一変するようなその美貌は、 決して女神と比肩しても劣ることはない。
「来やがったな」
 目尻をひくひくとひきつらせるロイ。その様子に気がついたのか、女性は物憂げな瞳をわずかに細めた。 何もかも飲み込んでしまいそうな、深い紫色の双眸。
 そしてロイと目が合った途端、両手いっぱいに持っていた白い箱を、ささっと背に隠す。
「おう、パース。いいご身分だな。こんな昼間っからさぼってケーキとは」
「あら、ロイ。何のことかしら?」
 無機質な無表情で、「パース」と呼ばれた女性はさらりと答えた。その答えに今度はひくっと、口の端を引きつらせ、 ロイが続けた。
「今後ろに隠した箱は何だ? 言ってみろ」
「ああ、これ? さっき立ち入り調査で押収した参考資料よ」
「ほお、生活安全課が立ち入り調査か」
 ロイの疑いの眼差しに、女性の眉間に脂汗が浮かぶ。
「ほんとか? メル」
「ううん、そんなの聞いてない」
 同じ生活安全課で働いている相棒の、容赦ない斬り捨てに女性が一瞬、メルに向かって悲しそうな表情を送ったが、 それも一瞬のことですぐに無表情になる。
「本当よ。実は私、局長から勅命を受けていたの。極秘任務だから一人で動けって。だから、 私生活安全課で活動しているように見せかけて――」
 とその時、背後に隠していた箱の底が抜け、無数のケーキがぼとぼとと地面に落ちた。 その数見えるだけでも三十個。どうやってそれだけの量を箱に詰め込んだのかはわからないが、よほど重かったのだろう。 全ての箱の底が抜けてしまっていた。
「……」
 地面に落ちて、ぐちゃぐちゃになってしまったケーキを、しばらく無言で見つめた女性は、 ゆっくりとしゃがみこんで、箱の底を直し、これまた無言で落ちたケーキを戻しだした。無表情で無言。 一体何を考えているのかわからないが、行動は一貫してスマートで速やかだ。やがてそれらを全て戻し終えると、 滑らかに立ち上がり、一つ間を置いて女性が言った。
「本当よ。信じて」
「誰が信じるかアホ!」
 思わず大声で突っ込んでしまったロイに、「残念だわ」と返す女性、パース=ミヌラーナは、 この幻影対策係PASの隊長である。実質的な組織の長は係長のウヌラートであるが、実動部隊として、 ロイ達をまとめるのはこのパースである。故に隊長と呼ばれていた。
 年齢は弱冠二十。このSEMSの中では、十二のメル、十八のロイに続き若い。それにもかかわらず、 PASの隊長を務めていられるのだから、彼女の能力の高さを推測するのは容易だろう。
「ずいぶん遅かったね。何かあったのかい?」
 できることなら思い切りぶん殴ってやりたいと叫ぶロイを抑え、ディルがパースに尋ねた。
「いいえ。見ての通りよ」
 持っている箱を見せる。もう開き直っているのか、ケーキを物色していたとの返答だ。
 その美貌から、局内の男性達を虜にするパース。女性ファンの熱い視線を一身に浴びるディルと共に、 パースの人気はすさまじいが、実はかなりいい加減な性格であることはあまり知られていない。
 その一つが、このケーキ好きという困ったものなのだが。
 パースは自分のデスクに、本日の戦利品を置くと、ウヌラートの元に赴き、二、三言葉を交わした後、 数枚の書類を手に持った。そしてそのままオフィスから出て行こうとするところで、ロイが声をかける。
「おい、どこ行くんだよ。会議はまだ始まってすらいないんだぞ」
「ああ、いいんだ」
 不機嫌に問うロイに、代わりにウヌラートが答えた。耳からイヤホンをとりながら「彼女には他のことを頼んであるんだ」 と付け加える。
「そういうことだから」
 パースは淡々とした口調でそう言い、オフィスから出ていった。去り際に「居眠りはご法度よ」とロイに注意していくあたり、 性格の悪さが出ている。
 このアマと、くって掛かりそうになるところ、をディルがそれを止める。
「さて、そろそろ頃合だな。始めるぞ」
 隊員が三人となったところで、ウヌラートが手をぽんと叩いて言った。
 まるで授業が始まったかのように、ぞろぞろと席に戻るロイとディル。メルは面倒臭そうに雑誌をぱたんと閉じ、 ウヌラートの方に顔を向ける。
 なんともやる気の漂わない空気だったが、幻影対策係PASのミーティングは始まった。
 内容は、昼間の廃工場での爆破事件のことについてだった。ロイ達三人も予想していたことである。 爆発のあった場所が工場地区で、しかも昼間で周囲の工場のスタッフも食事に出ていたため、 犠牲者は一人もいなかったものの、別の問題がいくつか生じていた。
 まず一つは、犯人はなぜ爆破場所にあんな所を選んだのか。
 そして二つ目に、その直後に幻影が発生したこと。
 ロイと入院したブラスの証言で、工場内にドラム缶サイズのCケースが複数置かれていたことがわかっている。
Cケースとは、幻影を創り出す媒介となるCスチームを収納した容器のことである。これのおかげでいつでもどこでも、 幻影を起こすことができるため、幻影犯の間では、重宝されている。サイズは手のひらサイズが主流だが、 今回で見られたドラム缶という規格外のサイズもまた存在する。犯人はそのCケースを破裂させ、 中に入っていたCスチームを広範囲に散布させることが目的であったと推測できる。
 工場爆発後、ロイが体験した幻影自体は、その場に現れた少女が発生させたと状況から考えられるが、 果たして犯人と少女の間に事件上関係があるのか。あるいは、偶然だったのか。
 爆発の瞬間、あろうことか最悪のタイミングでロイ達の前に現れた白い髪の少女。彼女はその後巻き起こった爆発で気を失い、 その後局の医務室に運ばれた。
 そのことは大して問題ではない。PASが最も危惧したのは、爆破後発生した幻影を起こした犯人が、 彼女だったということである。
 幻影は誰しもが使用できるわけではない。「ジェミニ」といわれる、紫の瞳を持つ特殊な人種のみである。 さらに言うとジェミニ全員が幻影を使えるわけではなく、幻影を使う能力、「ファントマビリティ」に覚醒した者だけである。 ジェミニである人種全てが、幻影能力を潜在的に持っているのだが、一度も能力に目覚めることもなく死んでいく者も少なくない。
 あの少女もそのジェミニだったわけだが、能力は使っていた。ただしそれは「覚醒」ではなく「暴走」だったが。
「ふむ……」
 一通りの現在の捜査進行状況を聞き終わり、ウヌラートがゆっくりと立ち上がった。
「ええ、先ほど、局長からこの事件を幻影犯罪と認定し、 事件の指揮権を刑事課から幻影対策係PASへ移行するとの正式な通達があった。よって今回の事件を、 『工場爆破幻影テロ事件』と命名し、私、ウヌラートが捜査の指揮を執ることとなった」
 一度話を切り、意見する者がいないことを確認すると、ウヌラートは続けた。
「そこでだ。事後処理を一人任命したいのだが……」
 さて、誰にやってもらおうかと、ウヌラートが嫌な視線を送ってきた。それよりも早く、ロイが「はい!」と挙手し、提案する。
「バードックなんかどうでしょうか。あいつ、遅刻したし、その罰ということで」
「そうそう、あいつ無駄に図体でかいし……」
「僕も合理的意見だと思うな。うん」
 メルとディルもそれに賛成した。というより、この二人も同じことを考えていたみたいだ。ウヌラートも、 元々誰でもよかったようで、すんなりその場にいないバードックという名の隊員に任命してしまった。にんまりするロイ達三人。
 事後処理の面倒臭さはさることながら、それよりも彼らはその作業に追われ、 アフターファイブを満喫できないことを恐れた。集合時間に遅れているバードックはちょうどいい身代わりだった。
 そしてちょうどその時。
「がはははは、いやぁ、どうもすみませぇん! 遅れましたぁ」
 と馬鹿でかい声で、これまた馬鹿でかい体の男が入ってきた。
 太い首に広い肩幅。筋肉質の体は「巨人」と呼んでも遜色ない。刈り込んだ頭に豪快な笑顔。大きな口からは、 常に無駄に大きな笑い声が生まれている。
 バードック=ゴーツ。彼もまたPASのメンバーである。
 二メートルを超す巨漢で、それに見合った大らかな性格は、もはや「鈍感、無頓着」という域まで昇華されている。 二十八という年齢に似合わないある種の無垢さを持った人物である。
 そんな彼の元にロイやメルが笑顔で集まり、
「ああ、惜しい! あと十秒早ければなぁ!」
 と、白々しくも残念そうな顔をして、指をパチンと鳴らしてみせた。
「ん? 何のことだ」
 と、話が理解できないバードック。笑いを止め、嘲笑を含みながら口々に、自分に同情してくるロイ達を見やる。 そんな彼に、事後処理係はおまえに決まったと説明してやると、バードックは、馬鹿笑いを再開した。
「がはははは! そりゃ残念だなぁ! 面倒面倒! ま、いいかぁ! がははははは!」
 全然面倒臭そうではない。よく考えてみれば、普通に頼んでも大丈夫だったような気がする。
 残念がるバードックの姿を、どこか期待していたロイとメルは、おもしろくなさそうに、ぞろぞろと自分の席に戻っていった。
「あの……」
 と、その時小さく遠慮げな声が聞こえてきた。どこからかはわからない。というより、 バードックの馬鹿笑いに掻き消されていると言った方がいい。
「あの、すみません……」
 二度目のその声に、ようやくバードックが反応した。
「おっと、こりゃ失礼。どうぞ、入ってください。がはははは!」
 彼が端の方へ体を寄せると、その巨体の影からもう一人、赤色の髪をした、美しい少女が現れた。

治安管理局二階。このフロアには、生活安全課のオフィスともう一つ、医務室がある。いくつにも分かれた医務室の一角。 一番奥の部屋に少女とパースはいた。
 清潔な印象を受ける白い空間の中、ベッドの上で少女が上半身を起き上がらせていた。まだ意識がはっきりしていないのか、 顔色はそんなに冴えない。ややうつむき加減で少女が「すみません、覚えていないんです」と、小さく、 しかし良く通る声で呟いた。
「そうですか……。仕方ありませんね」
 ベッドの脇にある簡易チェアに腰掛けるパースは、少し困ったような表情をして目の前の少女、 リィシナ=フェルゲートの紫の瞳から目を離した。膝の上にはすでに取り終えた調書と下敷きに使ったファイルケース。
調書を取り終えたと言っても、彼女が何も覚えていないので取りようがない。パースの膝の上にある調書は、白紙のままだった。
 リィシナが意識を取り戻した時には、ベッド脇にはすでにパースの姿があった。彼女は、 リィシナと同じジェミニ、紫の瞳を持つ人種だった。幻影対策係PASに所属するという彼女は、 リィシナがジェミニにのみ潜在する能力、「ファントマビリティ」に覚醒し、幻影を発生させた事実を告げた。
 一般に、幻影を発生させることは犯罪という認識が世間に根付いているため、リィシナは衝撃を受けた。 自分は犯罪者になったのか、と。しかし、パースは調書を取る途中も、彼女の罪に関しては何も触れず、 ただ自分の身元や事件中の状況などを尋ねてくるだけだった。リィシナは何か聞かれる度に 「覚えていない」という言葉を使った。事件前後の記憶がない彼女は、身元以外の全ての質問に、 そう答えるしか術がなかったのだ。強圧的に問い詰められるということはなかったが、 聞かれてばかりで自分がこの後どうなるのかを考える材料が何一つ得られていないのは、彼女にとって心細く不安なものであった。
「あの……」
「何か?」
 どこか事務的なものを感じさせる声。リィシナは自分と同じ色の瞳をしたパースに、やや警戒の色を持っている様子だった。 遠慮と不安を含んだ態度で、リィシナは「私は、どうなるんでしょうか?」と尋ねた。
 少しの間。
 パースは考える仕草をし、彼女の不安をなだめるように告げた。
「あなたは突然散布されたCスチームに触れたことで、能力が一時的に暴走しただけにすぎません。 ですから別に罰せられるというわけではありません。正当防衛と同じようなものだと思ってくれたらいいです。 事件後の記憶がおぼろげなのは、爆発のショックのせいでしょう」
 その言葉でいくらか気が紛れるも、やはりリィシナの心のわだかまりが全て払拭されるわけではない。 パースはその続きを、極力彼女をいたわる口調で告げた。
「ただ幻影の能力、ファントマビリティは、使い方次第で危険な凶器にもなり得ます。もちろん、 あなたはまだ未覚醒の段階で暴走しただけに過ぎません。仮に覚醒したとしてもそんな使い方はしないでしょうけど、 それを防ぐために、条件でしばらく監視が付くことになります。あなたを犯罪者扱いしているわけではありません。 万が一のことを思っての処置ですから、私達の行動にご理解を頂けると助かります」
 ――監視。その単語が何を意味するのか、瞬間的には彼女は測りあぐねた。だが、漠然と、 心に残るわだかまりがまた大きくなるのは感じられた。未だに自分が幻影を使ったとは信じられない 。今までごく普通のいちジェミニとして暮らしてきた彼女としては、 幻影能力を使用してみせた自分に疑問を抱かずにはいられなかった。
 そうした内側の変化に、リィシナは無言でうつむいていた。パースの言葉が納得できないわけではない。 が、件の疑問符が彼女の言葉に頷くことを拒絶する。
 その時、医務室のドアがノックされた。引き戸のドアが僅かばかり開いて、一人の局員が顔を覗かせてきた。
「パースさん、ちょっと……」
 リィシナに気を使ってか、やや押し殺した声で局員が、簡易チェアに腰掛けていたパースを呼んだ。
「私?」と自分を指差すパースに局員が頷くと、パースはゆっくりと腰を上げた。局員と二、三言葉を交わす。 それだけで用件は終わったのか、パースは局員を帰した。
ドアを閉め、少し間をおいてから、パースがリィシナに告げた。
「お姉さんが迎えに来たみたいですよ」
 リィシナはまた気が重くなった。罪に問われることはないとはいえ、家族に心配をかけてしまうことは辛かった。 医務室のベッドなどにいれば、余計に心配させてしまうだろう。本当は、あんまり顔を合わせたくはなかったのだが、 せめてこれ以上は迷惑をかけられない。
 リィシナは、思いきってこちらから出向こうと考えた。
「姉は今何処に?」
 尋ねると、パースは静かに「PASオフィスです」と答えた。

SEMSのオフィスの奥にある応接室。その来客用のソファに座って、ルイジェル=フェルゲートは小さく息を吐いた。
リィシナの姉であるルイジェルもまた、ファントマビリティを潜在的に秘めているジェミニである。 今回事件を起こしたリィシナの三つ上の姉にあたり、年はロイと同じ十八。 はっとするような真っ赤な長髪が何よりも印象的な美少女だ。
やや釣りがちな目元は、好戦的な性格を連想させられるが、彼女からかもし出す柔らかな物腰は、 そんなことも完全に払拭させてしまう。
彼女の父、フューゲル=フェルゲートは、わずか一代で巨万の富を築いたレナウン=フェルゲートの息子である。 今は繊維工業で有名な、フェルゲートカンパニーをまとめる立場となっている大富豪である。
今回はその立場に見合った多忙さのためか、事件を起こした少女を迎えに来たのは、姉の方だった。
 時折見せる苦笑まじりの微笑は、大富豪の令嬢としてか、洗練されたものだったが、今においてそれはなりを潜め、 ただ神妙な顔を浮かべている。
その彼女とテーブルを挟んだ向かいのにウヌラートがいる。二人は今しがた事件当時と現在のリィシナの状況、 そしてこれからの対応を話し終えたところであった。
「そうでしたか。まさか父の会社の設備が、犯罪に利用されるなんて……」
 膝の上にちょんと置いた手の甲を眺めながら、ルイジェルは現場の状況を思い描き、呟いた。
「このことは父にも連絡をしましたが、父は心当たりがないと言ってました」
「そうですか。しかし、今後とも同じようなことがないとも言えません。こちらとしても捜査と平行して、 そちらの警備体勢のチェックを行うことになるでしょう」
「……わかりました。そのように父に伝えておきます。父も喜んで協力すると思いますので」
 赤い髪の少女が苦笑まじりに言った。
 なぜこのような少女を迎えによこしたのか。ウヌラートがまず気にかかったのはその点だった。 普通は自分の娘が事件に巻き込まれたと知れば、いの一番に駆けつけるのが父親というものである。にもかかわらず、 仕事を優先し、まだ成人もしていない少女をよこしたことに、ウヌラートは違和感と疑問を抱かずにはいられなかった。
 しかしこうしてルイジェルの受け答えを聞いているとそれも頷ける。
 彼女は実に出来た少女だった。幼い頃からしっかりした教育を受けていたのだろう。ウヌラートの問いに、 流暢に、そして滑らかに答える少女は、もはやロイと同じ十八には見えなかった。
 逆に取れば、フューゲル=フェルゲートは、それだけこの娘を信じているということか。
 そこに応接間のドアがノックされた。ウヌラートの返事の後、パースに連れられて白い髪の少女が現れた。
「リィシナ!」
 ルイジェルがソファから立ち上がり、彼女の側に駆け寄った。
「大丈夫? 身体は何ともない?」
「うん、なんともない」
 医務室の時と同じように、リィシナは小さくもはっきりとした口調で答えた。続いて「迷惑かけてごめんなさい」と、 うつむき加減に呟いた。彼女が自分の顔を直視できないでいると、ルイジェルは娘をぎゅっと抱き、頭を優しく撫でた。
「いいのよ。あなたさえ無事なら」
 パースはドアの前でその様子を眺めていた。
「姉のルイジェル=フェルゲートさんですね。検査上、リィシナさんの身体に異常は見られませんでした。ご安心ください」
 ルイジェルはリィシナの抱擁をやめ、深々と礼をした。パースは、彼女を助けたのはロイだ、と訂正してオフィスの彼を指した。 自分のデスクで暇をもて余していたロイは、それに手をひらひらとさせて応えた。
「ルイジェルさん。今日はもう結構です。後日、リィシナさんを担当する者を派遣いたしますので、手続き等はその時で……」
「そうですか。心遣い感謝します」
ウヌラートの言葉に彼女は軽く頭を下げ、
「そちらも捜査の方、頑張って下さい。今回のように、考えの理解しがたい人たちに家族を脅かされるなんて、 もうあってほしくないので」
 そう言ってもう一度頭を下げる。ウヌラートがロビーまで送ろうと申し出ると、 ルイジェルはそれを丁重に断り、妹と共にドアの向こうへと消えた。
「やれやれ……」
 ウヌラートが息をついた。妹が危険にさらされたのだから当然と言えば当然だが、 今のでしっかり釘をさされてしまったわけだ。応接室から引き上げ、自分のデスクに戻ったウヌラートに、ロイが尋ねた。
「で、係長。あの子の監視、どうするんですか?」
「後日に派遣って言っても、遅くても明日には誰か派遣しないといけませんよね?」
 続くディルの問いに、ウヌラート係長はやや間をおいて、少し面倒臭そうに言った。
「ふむ……。一般業者の保護司をつけてもいいんだが、場合が場合だからなぁ」
彼がキセルをくわえながら髭に手をやる。
「さて、どうしたものか……」
さも思考を巡らすことを嫌うように、ウヌラートは苦い表情を浮かべる。そんな彼の代わりに、パースが口を開けた。
「ロイ、あなたがやりなさい」
「ええ、なんで俺が?」
 突然の上司からの指名に、ロイはあからさまに不平をもらした。パースはいつの間にか自分のデスクに戻っており、 その細い指を書類の上で素早く走らせている。
「例の爆発から彼女を守ったことで、彼女の警戒心を和らげることができるかもしれないわ。年齢も一番あなたが近いし」
「でもよぉ……」
彼の頑なな態度の理由は、もちろん、面倒臭い、ということだけである。彼にとって仕事明けのアフターファイブは、 同僚と飲みにいくことであり、一日の疲れを癒す重要な位置づけとされていた。が、パースはそんな彼の心中はとうに察していた。
「安心しなさい。これはあくまで事件の延長上の仕事よ。五時の鐘が聞こえればそれでその日の監視は終わり。 後は好きに活動すればいいわ」
 ふと、パースの目がこちらに向いた。透き通るような、深い紫の瞳がロイを捉える。 心の内側を全て見透かされたような気分になって、ロイは少し胸の底が冷えた。自分を見つめてくる紫紅色の瞳。 その中に自分が映っていると思っただけで、何か鳥肌が浮き出てくる。ロイはどうしてもその眼差しが苦手だった。
「わかったよ。やりゃいいんだろう。期間は?」
 途端、彼女の瞳が柔和なものになった。それが自分の気のせいではないことを、ロイは知っている。
「だいたいの場合は三週間ってところね。今回は特殊な事例だから、多少の前後はあるかもしれないけれど」
「おいおい、はっきりしねぇな。念を押しとくが、五時で終わりなんだな?」
「ええ、特別な事情がない限りはね」
 その答えにロイは椅子から飛び上がった。
「よし、飲みにいけるぞ」
「そればっかりか、あんたは」
 斜め前のデスクに座っているメルが呆れを表した。
 彼の酒好きは今に始まったことではない。
「明日はいくつか諸手続きもあるから、私も同行するわ。七時に局の前で合流しましょう」
 一通りの雑務をこなし、書類をトントンとまとめ終えたパースが椅子から立ち上がった。と、 同時に五時を告げる鐘が局内に流れた。直前までバリバリ仕事をしていても、鐘が鳴る瞬間はしっかり見計らっている。 仕事も早いが切り替えも早い。帰り支度をする彼女に、ロイも負けじと大雑把にデスクを片付け出す。
「了解。んじゃ明日な」
「ちょっと、どこ行く気よ?」
 メルが駆け出したロイに声をかける。
「明日は早いからな。早く帰って寝なきゃならん」
 バッと身をひるがえしオフィスから出て行こうとするロイの制服を、バードックの大きな右手が掴んだ。勢い余って襟で首が締まり、 ロイの喉から「ぐえッ」っと、カエルの鳴き声じみた音が出る。
「何すんだ、てめえ」
「がはははは! おまえは今日、夜番だろう! お疲れいっ!」
 ロイの怒りに答えると、掴んだ制服を放してバードックはオフィスから消える。
「そういうこと。あいにくだったね。お疲れ様ぁ」
 メルも自分の横を通り抜けていく。
「ディル! 何やってるの。早くしないと、おいてっちゃうぞ」
「え、あ、ま、待ってよ。今行くから!」
「もー、私、とろい人って嫌いなのよねー」
「ガーン。そ、早退します……」
「もう仕事時間は終わってるよ」
 メルに促されながら、ショックを受け、とぼとぼ帰っていくディル。
「くそう、セイファードの野郎、ガセネタ掴ませやがって。何が奴はきてるだ。結局四着だったじゃないか。今度会ったら、 一言言ってやらねば気がすまんな。ブツブツ……」
 もはやロイには目もくれずに、ウヌラートも通り抜けていく。
「……お疲れ」
 そう言って肩をポンと叩いてくるパースの紫の瞳は、どこか意地悪さを含んでいた。



第2章 リィシナ=フェルゲート